DTMスキルアップメモ - frenchbread

見習いボカロPがそこそこのボカロPになるまで、が描かれていくはずのブログ。

ボカロ曲の魅力って何なのか

わたしは数年前からボカロ曲をちまちまと拵えているのだけれども、ボカロ好きなのかというとそうでもない。というとあたかも、わたしは花屋だけど花なんて嫌いだ、と言っているようで、そんなんだったら誰の得にもならないんだし今すぐ辞めちまえ、とお叱りを頂戴しても仕方ないのであるが、理由はある。

といっても、わたしは歌を拵えて、作品として完成させたかったという、ただそれだけの理由ではある。(なお、なんで歌を拵えたかったのかと問われるともう答えられない。そこはそういうものらしいとお認めいただきたい。)

ではどう実現するか、となるが、演奏は打ち込みでなんとかするとして、ひと昔前なら歌だけは人間が歌わねばどうにもならなかったので、わたしのように歌が下手くそな人だとそこで詰んでいたのが、ボカロによってこれすらも補えるようになった。要はわたしは、作品を完成させるための手段の1つとしてボカロを使っている、ということである。

 

少し前までわたしは、これは他のアマチュア音楽家にもあらかた当てはまるのではないか、と思っていた。というのも、いかにボカロ技術が優れているとしても、本来歌というものは生歌がオリジナルであり、ボカロの歌もサンプリングした歌声が元とはいえ、優れた歌い手ほどのダイナミクスやニュアンスは再現しきれきず、そこを機械的に補う以上どこかで劣化する、とわたしは決めつけていたからであり、にも関わらず必要とされるのはあくまで作り手のニーズであって聞き手のニーズではない、と考えていたわけである。

 

が、少しでも冷静に考えればすぐわかるとおり、それにしてはボカロ曲が流行りすぎている。よくは知らぬがミクさんのライブが行われたり、「脳漿炸裂ガール」などの有名曲が学科の教材にリメイクされたりするくらいである。

最近、ボカロ曲にくわしい知り合いの方からいくつかオススメの曲を紹介してもらって聴いてみたりしているのであるが、ニコ動で100万回再生される作品も普通にあるのだということを知った。そこそこなプロのアーティストのMV並の人気ということになる。

 

では、俺様理論に従えば「生歌より絶対に劣るはず」のボカロ歌がそこまでの人気を誇るのはなぜか、と考えたところ、「商業主義へのアンチテーゼ」的なことが一つの答えなんじゃないかな、と思うに至った。

と、小賢しい表現をしていい気になっている薄っぺらいやつみたいになってしまったが、まあ薄っぺらいのは事実なのだが、一応説明させていただくと、というかわたしのブログなので好きに説明すればいいのだけれども、一般市場に出回る歌はレコード会社を仲介するわけで、レコード会社はお金を設けないといけない。

とすると、レコード会社なりに売れ線のノウハウみたいなのがあるだろうから、レコード会社はよかれと思ってそういう曲を作るように要求したり、その枠にはまるように作曲家に修正をせまったりして、最終的にその曲から、オリジナルの尖った魅力みたいなのがいつの間にか失われたりするのではないかと思う。

別にレコード会社を批判するわけではなく、どうしても複数の人の感覚を総合すると、良くも悪くも平均化するというのは世の中に広く当てはまる真理のような気がする。(余談だが、容姿の非常にすぐれた俳優やモデルの顔を何十人も集めて合成したら、結果として驚くほど平均的な容姿の顔が誕生したという実験をテレビで見たことがある。)

 

その点ボカロ曲は自由だ。もともとボカロなので人間が歌えないようなフレージングやキーレンジが扱えることにくわえ、作詞・作曲・アレンジを誰にも邪魔されることなくなんたらPさんが全て個人の感性のみでやり遂げ、ネットで配信できる。余計な人間の介在による平均化という罠に嵌ることもなく。

万人受けはしないかもしれない。でも嫌いな人は聴かなければいいだけだ。たいていの場合、お金をとるわけでもないし。

まとめると、ボカロそのものというか、個人レベルの感性で仕上げた歌を気軽に共有化できる手段を提供したという点が、ボカロ曲が今日の地位を築いた要因なのではないか。ということを言いたかった次第である。

 

なんて、なんだか大発見をしたみたいな書き方をしてしまったが、たぶんこんなことはすでにあちこちで分析されたり議論されたりしているのだろうな。

本日も駄文にお付き合いいただきありがとうございました。